犬山は天の真ん中からしたたった水玉------。鋭角的ないらかをそびえさせる犬山城の段丘を中心に、すべてが淡い水色に包まれている。
だが、清冽な木曽川の流れを少し離れると、遠い祖先の魂のさまよう妖しい幽明の世界が広がっている。
江戸の昔まで、木曽川は暴れ川であった。木曽川の奥に、尾張三山と呼ばれる三つの山塊がある。尾張富士、本宮山、白山である。いずれも標高300メートルにも満たない山であるが、形が奇怪で山ふところも意外と深い。
その中で最も深く高い本宮山は、山姥のすみかであった。この山の麓に気味の悪い底なしの渕があった。真ん中に、ときどき螺鈿(らでん)を散りばめた鞍が浮いている。欲を出して拾おうとすると、それは山姥が化けていて、欲を出した人間をとって食うからだ。
ある馬方が日暮れの峠道を越えていた。そこで美しい娘に会って馬に乗せてやったが、やがて馬が騒ぎ出す。振り返ると、髪をふり乱し、真っ赤な口をあけた山姥が、追いかけてくる-------。
明治村がある入鹿池は、江戸時代の初め、入鹿六人衆といわれる人達によって入鹿村を沈めて作った。入鹿村は百六十戸ほどの里であったが、元は大化改新派に斬殺された大和朝廷の蘇我入鹿の一族が隠れ住んで開いたところである。
そんな都のみやびた雰囲気が影響したような「蛍の茶会」という優雅な風習があった。六月、蛍の出る川原や瀬にゴザを敷き、蛍を型どった菓子を用意して、夜露にぬれながら茶を楽しむのである。
昔、京の都人が盃に大文字の山焼きの火を映して酒を楽しんだというが、ここでは茶碗のふちに蛍をとまらせ、その光と共に味わったのであろうか。蛍の語源は「星垂る」、また黄泉の国からきた魂でもあるともいう。「蛍の茶会」はあの世に行った人達の魂との出会いの場であったのかもしれない。
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