四方に南アルプスの峰が迫る大鹿の闇の空に、荒い銀の粒が無数に張り付いていた。昼間、緑の奈落に落ちていた滝が逆流して樹海をくぐり山脈の真ん中を通って頂に噴き上がり凍てついた。ときどき尾を引いて消える流星は溶けた氷。金色に光る星は、樹海をたちのぼった太陽の残光のかがよいである。
はるか下の森では、植物や獣達が動き出し、息をひそめて闇をむさぼり始めていた。
伊那谷でも最も深い大鹿の里は、南アルプスの主峰赤石山脈の西の斜面にすがる秘境、集落は標高600〜1000Mに及んでいる。どちらを見ても頭を圧する峰と奈落の谷、原生林の大樹海であるが、人跡は意外に早く平安時代には、ここで産出する塩を使って牧の経営が始まっていた。南北朝時代になると、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王が本拠をおき、三十余年暮らした。
今も山深い遺跡を訪ねると、都を離れて三十余年の山家住まいの親王のわびしさが身にしみて思われてきた。宗良親王が祈願所にしていたという福徳寺のたたずまいは簡潔で美しい。ゆるやかな傾斜に沿った小さな建物だが、鎌倉期の建築物、都を忍ぶのにふさわしい優雅な姿をしていた。
「どちらを見ても、山また山の南アルプスの山麓に、ひっそりとある山村です。人の住む里まで、クマがのそのそと現れたり、イノシシやキツネやテンが、すぐ裏山を歩き回っています。 (遠山の大トラ)」
ここを舞台に、「アルプスの鷹」「熊」「月の輪グマ」等といった木地師や山窩を主題に作品を書いた椋鳩十氏のふるさと喬木村は隣の村である。
大鹿は天と地が縦に裂けた空間にある里といってもよい。奥伊那の樹海には、まだ人間が知らぬ動物や植物、妖怪が棲んでいる気がする。
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