明治の八事は鉄道馬車と蝶とレンゲ、そして伝説の森に囲まれたのどかな里であった。「八事の蝶」と呼ばれたこの蝶の玩具は、トウモロコシを胴体にし、細い竹ひごに美しい色彩の紙の羽根をつけたもので、興正寺詣でには欠かせないものであった。
興正寺の山門の南西には、伝説と神秘に包まれる鬱蒼とした森があった。この森には、大昔、幻の巨人だいだらぼっちの足跡に水がたまったまんとう池があり、さまざまな祟りを招く大蛇が棲んでいた。
まわりの林にもいたずら好きなタヌキが棲み、よく金の茶釜に化けて欲深な人を化かした。
その南東に、「きよの坂」と呼ばれる急な坂道があった。馬の背山と宮林山にはさまれた谷間を通る、島田へ抜けるただ一つの道、大変な難所でおいはぎが出ることもあった。
昔、夕方になると、ときどき色の白い美しい娘が現れた。カラコロと日よりげたの音が聞こえ、追い抜いて行った。見かねて追いかけても追いつけない。気がついたときには懐がからっぽになっていた。いつのころからかこの坂をカラコロ坂と呼ぶようになった。
八事の北部の植田山は、雑木の伐採や鳥獣の捕獲を禁じた尾張藩の御料林であった。やまには赤松や黒松が生い茂っていた。今でも、ときどき「鳥獣禁止区域」の看板を見ることができる。
島田は、平安時代末期、熊坂長範という大盗賊の住んでいたところで、近在の馬を盗み出しては隠し、街道のお地蔵様に祈って、白馬は黒馬に、黒馬は白馬に毛を替えて売っていた。長範は義賊。馬を売って得た金はことごとく貧乏人に与え、盗んだ馬と同じく、恩義を受けた人は数知れず・・・。
大盗賊に味方したこのお地蔵様は、現在の島田地蔵寺にある。長範によってその効果が世に知られ熱烈な信者が多い。
しかし年々都市化している八事から平針にかけての街道は、面影をとどめるところは少ない。
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