風すさぶ夜明けの浜に、まだ新しい卒塔婆が立っていた。 くだける波涛と海鳴りの中で空が白み、水平線に金色の光がはじけた。 海女にとっての浄土は、潮煙けぶる沖の彼方・・・・。三人の海女達は、共にもぐって海の底に消えた仲間の魂が浄土によみがえる日の初日の出の時と思い、除夜のときから待ち続けていたのである。 石鏡は平地が少なく、岩礁の多いところである。国崎は、鎧崎の海蝕崖上の集落。眼前に伊勢湾、南に的矢湾を隔てて、安乗、大王崎、熊野灘が茫々と煙っている。又荒波のくだける足元の波間には海女が沈み、時おり磯笹が風に乗って流れてくる。 海女には、浜を歩き陸に近い海にもぐる海女(徒人、かちど)と、夫婦で舟に乗り、沖で深海にもぐって浮上するときには命綱の合図で夫に引き上げてもらう(舟人、ふなと)がある。 潮風の中からもの哀しく響いてくる海女の磯笛は、海底の生活の唄でもある。ひともぐりして水面から顔を出すとき、一度に息をはくと肺をこわすので、口をすぼめてゆっくりと出す。そのときに出る音が磯笛である。 志摩の海女の歴史は、第11代の垂仁天皇(BC 291)の時代に始まる。天照大神を伊勢の地に祀った倭姫命が、社貢を定めるために付近を巡行していたところ、国崎の鎧崎のおべんという海女がアワビを贈った。今でも伊勢神宮のアワビの調達所は鎧崎である。5、8、11月の三回、アワビをとって奉納している。 海女達の村では、猫の瞳孔の大小で潮の干満がわかり、風や星の息で天候を知る。船でも老いると磯で風葬にするか、海底に帰してやろうとする。 そんな伝説や感情をもっともよくしっているのが海女である。表にはでない歴史や伝説が、その口から海霧のようにわいてく
る。
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