葉の枯れた熱田の森の梢から白鷺が飛び立った。それは、原始の真紅の鏡を思わせる夕陽をかすめて日本武尊の白鳥伝説を残す古墳の向こうに消えた。夕霞の中に、神話時代の幻がよみがえったような思いになった。 熱田の宮かいわいは、名古屋の真ん中にありながら、神話と古代が同居するところである。 白鳥古墳は伊吹山で賊を平らげ、伊勢の能褒野で倒れた武尊が白鳥となって飛び帰ってきたと言われる場所。そして隣の断夫山古墳は、その墳墓を守って生涯を終えた妃宮媛姫の墓と伝えられている。 白鳥古墳は、長さ47m、幅25m。断夫山古墳は147mと70m、いずれも前方後円墳である。そして前者には曹洞宗の法持寺、後者には神宮公園が隣接し香華にことかくことはない。 この2つの古墳ができたのは、5、6世紀ごろ。当時、この地を支配していた尾張氏の墳墓ではないかとも言われている。 尾張氏は、大和、葛城の人だが、大和朝廷に尾張平野開拓を命じられて、小牧、春日井に移り、やがて南下して年魚市潟を基盤に強大化、この地方一帯を支配するようになったのである。 さらに大化3年(647)、遠浅の海岸線であった熱田に移り、熱田神宮に大宮司として奉仕するようになった。 尾張氏が住んでいた年魚市潟跡には神宮の摂社氷上姉子神社(緑区大高町)がある。 熱田神宮の祭神日本武尊は武を代表する尊である。武の神ら
しく、唐の玄宗皇帝が日本征伐を思い立ったとき、熱田の神が楊貴妃となって大陸に生まれ、皇帝の心をつかんで思いとどまらせたというのだ。 霧の日、雪の日、木枯し吹き過ぎる日、いっても、神宮の森は、歴史の中の人の魂が留まっているところという思いが強くわく。神鶏の時を告げる声の中にも、日本人の心のふるさとがある。
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