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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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木曽山岳の秘境権兵衛峠

 
静岡県小笠郡大東町


 遠州灘の海岸線に、約5キロにわって妖しい風紋を結ぶ千浜大砂丘は、黒潮のとどろきが生んだ姫御の化粧場。夜明けの浜に遊ぶ千鳥を見ていると、月夜の残していった青い光の化身ではないかと思ったりした。

 そこから4キロ北に入った山峡には、砂丘とは対照的に、幾たびとなく、戦国の血に洗われた古城址がある。徳川家康・武田勝頼が死力を尽くして奪い合い、ついに甲斐の名族の滅亡の元になった高天神城である。

 そこは、戦国時代「高天神城をとる者は遠州を制する」と言われるほど遠州の要衝であった。

 幾つかの小山を従えた高天神城は、標高30メートルほどの山城。規模は小さいのだが、本丸のあった北東に絶壁をもち、信玄が何度攻めても落ちなかった要塞であった。

 頂からの眺望はすばらしく、南は遠州灘、北は南アルプスまで望むことができる。北に向かうと武田の周落、明るい海のかがよいのある南に向かうと旭日の家康の天下への道を思わずにはいられなかった。大東の里は、天使の砂丘と妖気の古戦場の混在する遠州路の穴場である。

 山はうっそうとした木々に覆われ、暗い道をあえぎ上って本丸跡を間近かにすると、視界はにわかに北東に開けた。眼前に目のくらむ断崖が落ち込んでいる。

 西の丸北側に伸びる尾根に堂ノ尾曲輪がある。土塁の残るこのあたりが比較的ゆるやかで、武田軍が攻略したときには、穴山梅雪に、徳川方の奪回戦でも大久保忠世にここを破られて落城した。

 石牢跡は、徳川方の城主小笠原長忠の臣大河内正局が、落城後も一人だけ屈せず、家康が城を奪回するまで、8年間も幽閉されていたところだ。

城址はどこを歩いても暗く、今も両軍の怨念がこもり続けているようにも思える。

高天神城は鶴翁山とも呼ばれる。その姿が老いた鶴に見えるところだろうか。



 

27.死相(四層)で不気味に笑う

29.憂愁の伊那路

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