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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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憂愁の伊那路

 
長野県伊那路


 七月の山は疲れに向う季節である。
 緑に緑を重ね、更にその上に濃緑を盛り上げて、山はひたすら倦怠の季節に向う。

 伊那はかつて伊那部の里といわれ、伊那氏の領有地であった。武田・織田の時代を経て、伊那氏は関東郡代として生き延びていく。

 伊那は三州街道の宿場町。天竜川、南アルプス連峰を望む段丘の春日城址の近くには、今も宿場の面影を残す家並みが連なっている隣り合う高遠は、武田王国の最期の花を咲かせたところである。

 天正十年(1582)、伊那、木曽谷から甲斐を目ざした織田信忠軍の前に立ちはだかったのは、武田勝頼の異母弟の若き武将仁科信盛であった。小山田昌辰を介添えに伊那の諸将が団結して城を固めた。

 江戸時代、高遠は内藤氏の城下町として、武家屋敷、商人町と整えられていくのであるが、大奥の大年寄、絵島の流刑の地としても有名である。

 絵島は山形屋の役者生島新五郎とのただれた恋をとがめられて大奥の風紀を乱したとされ、高遠へ流刑となった。絵島はこの地に34歳から61歳で亡くなるまで住んだ。

 駒ヶ根郊外には、信濃五山の天台宗光前寺がある。本尊は慈覚大師作の不動明王である。

 織田信忠の兵火にかかって焼けたが、徳川家光が寺領を与えて再建、寺領は広く、夢窓国師の枯山水の庭園もある。参道の石垣には、光が当たると色素体が働いて黄金色に輝く天然記念物の「光り苔」もある。

 伊那谷では、春先から秋の初めまでウグイスが鳴いている。雲が柔らかい色に染まって暮れていくと、里のしじまでヨタカの声が響き始める。霧が流れる軒先に、ホタル火がさえぎっていくのが美しい。小道の草むらにころがっている青い小さな火もヒメボタルだ。

 山峡の里の夜明けの伊那谷の雨は、ずしんと重い雲の中から、夕霧のように細かく煙りながら降り出して里の風景をあぶり出して里の風景をあぶり出す。



 

28.武田軍滅亡の呪いの地・高天神城

30.富士と伝説の月見草咲くマグロの里

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