私的画報 私的画報 表紙へ 記事一覧へ戻る お問い合わせ 執筆者募集
アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

過去の記事一覧を見る

富士と伝説の月見草咲くマグロの里

 
静岡県清水市


 平安貴族にとって、富士は東国の幻の山、絶えず体をこがして燃え続ける思ひ(火)の山、恋の山であった。「竹取物語」には、かぐや姫が残した不死の霊薬を焼いたので、今も煙が絶えないとつづられている。

 富士に噴火が最も多かったのは平安時代であった。「浅間大神ノ大山ニ火アリ。ソノ勢、其ダ盛ンニシテ、山ヲ焼クコト方十二里許リ。光炎ノ高サ二十丈許リ。雷アリ、地震フコト三度、十余日ヲ許テモ、火ハナオ滅セズ。巌ヲ焦ガシ、嶺ヲ崩シ、砂石ハ雨ノ如ク、煙霧ハ噴烝シテ、人ハ近ヅクヲ得ズ」

 羽衣伝説の三保の松原、日本武尊が草薙剣を使って賊から逃れた東征ゆかりの地でもある。

 時代が下がると、清水の良港をひかえているため、今川・武田・豊臣氏が戦略上の要衝の地とし、江戸時代になると、東海道五十三次の宿場町として水陸輸送の一大拠点となった。

 最も有名なのは、幕末から明治にかけての侠客、清水次郎長の町ということである。

 次郎長は単なる博徒ではなく、維新後は、富士の裾野の開墾、清水・横浜間の回漕業の発展、青少年の英語教育にも尽くした。官軍に刃向かって討死した幕府の軍艦咸臨丸の乗組員をねんごろに弔ったのもこの人で、梅陰寺には、お蝶、大政、小政、石松等と共に葬られ、多くの遺品も残っている。

 三保の松原は、南北約6キロの富士を仰ぐ優美な海岸「富士には月見草がよく似合う」と言われるのもこのあたりである。近くの御穂神社には、天女の羽衣の一端だといわれる錦のきれはしが保存されている。

 羽衣の松は樹齢六百年、天女が遊ぶにふさわしい枝々をたくましく四方に広げている。本当の伝説の松は、宝永4年(1708)、富士山の噴火によって海に沈んだが、それを惜しんだ人達によって植えられたのがこの松である。夕焼けの富士を背景に松を見上げると優美な羽衣をひらめかせて舞う天女の姿が現実のものに思えてくる。



 

29.憂愁の伊那路

31.風雅と哀史と土の国郡上

次のページへ
ページの上部へ

プライバシーポリシー

利用規約

企業案内

よくある質問

記事を読む

私的画報とは

Copyright (C)PROSIT ASSOCIATES Co,LTD All Right Reserved