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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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海亀と難破船の海洋民族のふるさと

 
愛知県 赤羽根町


 冬の赤羽根の空からは金色の雨が降る。

 金色の花を包んで輝くガラスの宮殿に、潮が運んできた雨が、霰のような音をたてて飛び散りころがる。

 夜空を染めて輝く電照菊の温室が、不夜城となって、遠州灘から打ち寄せる荒い波が白を染めているからだ。

 養蚕の里であった赤羽根に初めて温室が作られたのは昭和十年。戦後になってそれが急速に普及し、春、夏、メロンを作るようになった。秋、冬も遊ばせることもなく活用できないかということで始まったのが電照菊栽培であった。

 用水がひかれるまでの半島は常に水不足似悩み、半農半漁の寒村であった。魚だけは豊富であったが、朝も夜もイモがゆで飢えをいやし、海との戦いの激しい労働にたずさわらなければならなかった。

 「渥美」は今「あつみ」と読むが、むかしは「あくみ」といった。つまり「飽海」のなまったもので、海洋民族の「安曇(あずみ)」に通じていた。

 伊良湖近辺は、万葉時代は「伊勢区に伊良虞島」、つまり、神島と同じ伊勢領だったのである。そのころは、海路が交通の中心だったこともあり、政治の中心地に近い文化の香りの高い所で、都の人もよく往来した。

 毎年、夏の夜になると海亀がやってきて、砂浜に卵を産んでいく。生まれた子亀は、波音で分かるのか、どれも迷わず波打ちぎわを目ざし、母亀のいる遠い海に向って旅立っていく。そしてまた何年か後、同じ浜に卵を産みに海に帰ってくるのだ。

 だが、浜から海に出るまでに,おおくの鷹やトンビにねらわれて命を失う。波間に入っても敵が多く、どれだけの数が、無事に帰ってこられるのかわからない。

 月夜の浜に海亀の幻を求めて歩いていると、波がしらが無数の海蛍を光らせてくだけた。

 カラスウリの蔦が這うこの浜には、太古の海の神秘がそのまま残っているようだった。



 

33.人の神の原点が息ずく伊那谷の晩秋

35.家康ゆかりの町 岡崎

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