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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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風雅と哀史と土の国郡上

 
愛知県岡崎市


 星明かりの中で、夜半を過ぎたころからにわかに湧き出した絹のような雲が、西から東へと渡り移動し終ったあとの空には、もう星はほとんどなかった。雲にくるまれて、東の山の端に全部はき落とされてしまったような、そんな錯覚を覚えた。そしてそのあとに、光の探照灯を広げ始める東三河の山々・・・。

 どこにいても、夜明け、夕暮れといった自然の営みは同じはずであるのに、その場所、その環境によって、いつも違った思いを湧き立たせてくれる。徳川三百年の泰平の世のいしずえを築いた英雄、家康のふるさとという先入観が、無意識のうちに働いていたのかもしれない。

 この岡崎の町を歩いていると、家康ゆかりのある場所は限りがない。いや、古いものすべてが、なにかの意味で家康につながっているといってもよい。

 家康がまだ駿河(するが)の今川氏の勢力下にあったころ、多くの岡崎衆とともに忍従と苦難の日々を送った岡崎城。西に矢作川、南に菅生川の流れるこの要害の地に初めて城を築いたのは、室町中期の康正元年(1455)、三河の守護代西郷稠頼であった。

 その後西郷氏が四代続いて、大永四年(1524)に、三河北部の豪族であった松平清康が入城したのであったが、町がにわかに発展したのは、清康が租税を免じてから、商家が軒を並べるようになった。

 家康が生まれ、幾多の戦いをへて江戸に入府すると、代々、岡崎は譜代の臣によって治められていった。禄高はわずかでも、家康出生の城であるということで大いに権勢をふるい、東海道五十三次の岡崎宿、今も残る寺院の門前町として栄えていった。

 樹膚の一つ一つ、葉の一枚一枚、そしてその緑陰にまで、何百年となく続いた徳川家の人々の魂が、今も静かに宿って、この町の動きをじっと見守り続毛手いるような思いがしてくる。



 

34.海亀と難破船の海洋民族のふるさと

36. 雪と静寂に包まれる野沢温泉

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