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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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さかまく木曽川の流れと犬山城

 
愛知県


薄い青緑・・・犬山を思うとき、なぜとなくこんな色彩が浮かんでくる。ラインパーク、入鹿池、明治村、そして犬山城など、すべてが自然の緑に色どられているからかもしれない。

季節によって、多少の変化はあるが、長い年月の間には、木曽川の氾濫,戦国の世の戦火、時の移り、世の動きの影響を微妙に受けてきた。

「犬山」の名は、ここにイヌを用いて狩りをするのによい場所であったからとか。楽田の祭神、大荒田命を祀る大県神社の戌亥(いぬい)の方角にあったからと言われるが、なだらかで深く、豊かな樹木につつまれた丘陵を歩くとき、平安から鎌倉のころの物語に出てくる狩猟の地を彷彿とさせるものがあった。

天竜、大井、富士川とともに、東海地方の四大河川の一つにはいる木曽川は、長野県西筑摩郡の鉢伏山渓谷に端を発し、木曽福島で御岳からくだる王滝川と合流して、飛騨・木曽山脈の中間に、大渓谷を作って流れ下ってくる。

その水量は、四大河川の中でも最も豊富であると言われるだけに、この地と洪水の歴史は、切っても切れない。

古書に「往古木曽側は尾張において八筋流るる」とあるように、木曽の渓谷を流れ下ってきた水が、中部山岳地帯から平野に流れ出る谷口にあたる犬山で急に広い野原に出るため、洪水のたびに堤防を断ち切って水の流れが変わった。長い歴史をたどると、犬山から下の地域は、こうしたことが珍しくはなかった。

白帝城とも呼ばれる犬山城は、山城と平城の中間の平山城ー1599年(慶長4)、徳川家康が、美濃兼山城主の森忠政を信州に国替えしたとき、その城を犬山城主に与えた。そのほとんどを解体して、木曽の流れに乗せてくだらせ、建築したのが今の天守閣である。

現存するものでは日本最古といわれる犬山城。それは木曽の流れに天守閣の建つ絶壁をひたして、この川を天然の要塞にして構えているというが、大河の暴力に立ちはだかっているようにも見える。



 

39.昼なお暗い柳生街道

41.奥能登に伝わる平家の血

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