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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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名古屋のシンボルシャチ輝く天守閣

 
名古屋


その昔、那古野の里を中心とする尾張平野葉、どこまでも続く一面の平原であった。その尾張平野の一角、現在の名古屋城の北には沼のような湿地帯が広がり、アシが生い茂り、夏はヨシキリの声につつまれ、秋から冬にかけては原始の生々しさをたたえ、刻々と変化する空の色の中をガンが渡っていた。

このあたり熱田から清洲にかけては尾張氏、斯波氏といった豪族が勢力を張り、北に断崖、泥沼、近くに矢田川、庄内川が流れるこの名古屋台地に城を築くことを思いついたのは駿河(するが)の守護今川氏親(義元の父)であった。

やがて、出来たのが那古野城(柳の丸)。しかし、まもなく、信秀・信長・秀吉・家康へと目まぐるしく変わりうらぶれていった。

石垣の跡もわからぬほどに荒廃した城に慶長14年(1608)築城の命が下り、木曽の流れは筏に組まれた良材の木材、伊勢湾には石を積んだ船団、ここに通じる街道は雑多な馬車でごったがえした。

西日を受ける金のシャチほこが空の青さと照り合って輝く。樹木の生い茂る原野の中にそそり立つ天守閣。やがてそこも田畑に変わり、稲穂波打つ中の天守閣。そこも地ならしされ、密集する人家の屋根に姿を見せる天守閣,近代都市ビルラッシュの中にそびえる天守閣...........。年は移り、世は変わってもこの地に生きる人々の心をいつもしっかりと支え続けている。

どこまでも広がる原野を、御岳、伊吹山をみわたしながら、しだいにその勢力を四方に伸ばし、ビルの林立する今も少しも変わらず輝くシャチ。

荒っぽく切り裂かれた窓、厚い白壁、そしていらかの日本古来の建築、あらゆるものが溶け合った歴史の重み。ひときわ大きい石垣の石には、◯や×、あるいは奇怪な図案が深く刻み込まれている。

城中で最も広く樹木の残る御深井丸......。

幾多の人夫がどろの海にもぐりながらうめたてた湿地帯。築城悲話の一つとして阿鼻叫喚の声が聞こえてきそうである。



 

43.雪国のきびしい湖に羽を休める白鳥たち

45. 鬼がいなくなった仙境の村、鬼無里の里

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