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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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鬼がいなくなった仙境の村、鬼無里の里

 
名古屋


二月の鬼無里の里は、無数のツララの林のさらにその奥にあった。

長野市を出てから、しばらくすると山にはいり、勾配がきつくなる。急にツララが目立ち始め、数もどんどん増していく。

20kmもあえぎ、ようやく着いた鬼無里の里は、冬のまっただ中に静まる仙境だった。

雪におおわれたゆるやかな起伏に見え隠れする屋根の家々は、広がる自然とまったく同化したように根をおろしている。

鬼無里の里は、標高1000m、 西に白馬岳で有名な白馬村。東に天の岩戸伝説を残す戸隠村をひかえた裾花川上流に開ける村である。村の名前の由来は二つあった。

今から千年の昔、京の都で源経基に愛されていた紅葉(もみじ)が、罪に問われて戸隠山に流され、裾花川上流に住みついた。ところが紅葉は、里人の物を奪ったり、人を殺したりしたため鬼女として恐れられた。そこで朝命を受けた平維茂が紅葉一行を征伐したため鬼のいない村になったーーーー。

また、天武天皇は、この地の美しさをこよなく愛して、ここに都をたてようとした。ところが、付近に住んでいた鬼がこれをじゃましようとして、村の真ん中に、一夜にして山を築いたので、計画は中止となったが、この鬼たちを退治した。

そしてそこから里の名前がついたとも言われている。その山は、今も一夜山と呼ばれている。

今はすっかり寒村となっているが、古くから文化が開けて、都との交流も多かったのだろう。

奥裾花渓谷は、この里の中心から17km上流にある。押し寄せる絶壁、渓流に押し合う奇岩、巨岩、雪解け水を集めてしぶく二段三段がまえの滝が、秘境というにふさわしく冬場は積雪にはばまれて分け入ることができなかった。

鬼無里の里の圧巻は、奥の原生林に広がる日本一のミズバショウの群生地ーーーーー。

山はどうやら、もう春に向って微妙な移ろいを見せているようだった。



 

44. 名古屋のシンボルシャチ輝く天守閣

46.遠浅の海岸線をうずめるノリソダ、西三河

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