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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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西三河

 
名古屋


霊峰御岳をピークとした木曽山系が、なだらかな山並みを連ねながら三河湾に落ち込む。その一角を占める幡豆・宮崎・吉良の海岸線は、小規模ながら、岬あり、入り江あり、島あり、非常に変化に富んだ地形となっている。しかも背後に山、前面に海をひかえ、気候は穏やかで暖かい。

西幡豆から,海岸線を東にむかうにしたがい気だるくなるほど暖かで、すぐそこまで迫る段丘の斜面にみかん畑が続いている。

佐久島・梶島・さるが島・うさぎ島ーーー。ひとにぎりの小さい島を浮かべる海は平穏に静まり返り澄んだ心を見る思いがする。

東幡豆から見る三河湾の展望は、底抜けの明るさを見せて広がる。島影と観光船そして漁船などの航路が、箱庭のように美しい。ここから見た夕暮れは、水平線上に激しく燃える。いったん空のベールに吸い込まれ、再び降りそそぐと、野も、山も、海も、そして名もない雑草の細い道筋も真っ赤に染まる。

吉良の庄は、三ケ根山の西側の日だまりに開けている里である。

古くから有名な産業は製塩であったが、この土地は、吉良義央を抜きにして語ることは出来ない。吉良義央といえば忠臣蔵の悪役、赤穂城主朝の浅野長矩を切腹させ、その浪士によって討たれるのだが、先祖は鎌倉時代からここの豪族であった。そして徳川になってからも引き続き、二千二万石句でここに封ぜられ、領主なった。忠臣蔵の悪名とは逆に地元では評判はすばらしい。

吉良の里が、豊かな土地として生き続けているのは義央の善政に負うところが大きい。

三百年ほど前まで、梅雨の時期のなると、黄山の深い谷から水があふれて洪水となり、田畑が押し流されていた。義央は巨大な堤防(黄金堤)を造り、新田を開発し、漁業や製塩の発展に手を伸ばし、豊かな里にしたのだ。

足を洗う波の感触を楽しみながら潮干狩り。オゾンの香りは胸に満ち、快い疲れが全身をつつんだ。



 

45. 鬼がいなくなった仙境の村、鬼無里の里

47.尾張藩主祖廟定光寺

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