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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
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過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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三重

 
三重県


すでに夕もやのたちこめる英虞湾ーーー、ゆったりとした息吹きをみせる波間に、最初はちらちらしていたが、時がたつにしたがい、しだいに大きく広がり,夕日に向って、ゆらゆらとただよい伸びる。

それはこの湾の底深くに沈んで、ひっそりと育ち続ける真珠ーー。ことに大陽の焼ける夕暮れがやってくると、白い玉を抜け、かたい貝の口をくぐって,ゆらめく海草の中を海面へ向かい、日が沈むまで真紅に燃えて輝く。

海女や海士は、獲物を求めて流れ歩く漁民であった。志摩の海女の性格は、鳥羽から国崎にかけての北志摩と、和具を中心とする南志摩の二つに分けられる。北志摩の海女はわりに岸に近い海に、磯おけを浮かべてもぐるが、南志摩では「ととかか舟」といって、小さな舟に夫や父親とともにのって沖へこぎ出し分銅を抱いてもぐっては、息が切れそうになると命綱で引き上げてもらう。海女たちが海底から浮かび上がったときに、口をつぼめて口笛のようにはく呼吸の音は磯笛と呼ばれ、しまの風物詩のひとつに数えられる。

戦国のころ、波切城主九鬼孫五郎澄隆に、初音というひとりの美しい娘の悲恋物語があった。どこにでもありそうな封建の世の哀史である。

淡い十三夜の光の中に、海は昼に変わらず広がっていた。海のうねりは、黒く重い。砂に耳を寄せると、昼には打ち寄せる波音ばかり響いたのに、今は、引いてゆくなみの小石を引きずるかわいた音だけで闇をゆする。

大化の改新のころから、仏教王国を目ざす布石として国分寺が建設され、やがて平安から鎌倉期にはいると伊豆から熊野への中継地となった。室町から戦国の世へーーー。この地に育った九鬼一族が強力な水軍を支配した。

強い風になぶられながら岬に立って、そんな変転めまぐるしいこの地の歴史を思っていると、枯木の林からけたたましい鳥の声が聞こえた。これは人間たちの色どる歴史のある一面を象徴しているように思えてきた。



 

49.黒四ダムと安曇平にわくアルプスの水

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