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ホビー

ミニチュアカーを眺めて過ごす至福のひととき

ミニカー収集歴24年。現在4000台を超えるミニカーを所有し、ディスプレイに工夫を凝らしながら自宅をミュージアムに変えて楽しむ日々。男性ならきっと一度は心ときめかせたモータースポーツの魅力を、自身のミニカーコレクションとともに綴ります。
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過去の記事一覧

第1回 ミニカーたちとの出会い

第2回 地上最速のF1レーシング
  マシンたち 【その1】

第3回 荒野を駆けたラリーマシン
  たち 【その1】

第4回 ル・マン24時間レースで
  活躍したマシンたち 【その1】

第5回 日本のサーキットを駆け抜けた
  マシンたち 【その1】

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第5回 日本のサーキットを駆け抜けたマシンたち  【その1】

01|02

1967年の富士24時間レースのゴールシーンを再現したディスプレイ。
初めての手づくりディスプレイ作品です。

1967年の富士24時間レースのゴールシーンを
再現したディスプレイ。
初めての手づくりディスプレイ作品です。


国内レースを盛り上げるメイド・イン・ジャパンたち


 第3回日本GPは、一年間の空白を置いて1966年5月に新装された富士スピードウェイで開催され、前回ポルシェ904に苦杯をなめたプリンスはレース専用車両のR380を開発しレースに挑みました。実は、この年の4月に日産自動車によるプリンスの吸収合併が発表されており、プリンスワークスとしての最後の参戦でもあったのです。
 しかし、そこに立ちはだかったのはまたしても進化したポルシェ906(カレラ6)でした。明らかにマシンの性能、速さではポルシェが勝っていましたが、レースを制したのは4台出場させたプリンス自動車のチームワークによりプリンスR380でした。また、このレースにはトヨタチームから市販前のトヨタ2000GTレーシングタイプも出場して3位に入賞し、レースを盛り上げました。

 1967年の第4回日本GPは、プリンスの名が消えた4台の日産R380と3台のポルシェ906(カレラ6)の戦いとなり、優勝は幾多のアクシデントをかわした生沢の駆ったポルシェ906でした。

1967年には日本初の耐久レース、富士24時間レースも開催されました。このレースでは、トヨタチームによるトヨタ2000GTとトヨタスポーツ800が1〜3位を独占し見事なデイトナフィニッシュで編隊ゴールしています。
1968年の日本GPは、排気量無制限のオープン2シーターマシンであるグループ7カーが参戦可能となり、日産R381、トヨタ7、ローラT70のビックマシンとポルシェ910(カレラ10)などの戦いの中、480qのレースを制したのは怪鳥日産R381でした。


1966年第3回日本GPに出場したマシン 1967年第4回日本GPに出場したマシン
1968年第5回日本GPに出場したマシン 1969年第6回日本GPに出場したマシン

(上左)1966年第3回日本GPに出場したマシン
(上右)1967年第4回日本GPに出場したマシン
(下左)1968年第5回日本GPに出場したマシン
(下右)1969年第6回日本GPに出場したマシン


 これらのミニカーを眺めながら40年余り前のレースに思いをはせる私を見て、妻は怪訝そうに首を傾げる。いつになったら、やさしく微笑んでくれるのだろう。

『でも、そんなの関係ねー! でも、そんなの関係ねー!』


次回は、レーシングカーとそれを運ぶトランスポーター、そして私の愛車を紹介します。

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