私的画報 私的画報 表紙へ 記事一覧へ戻る お問い合わせ 執筆者募集
アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

過去の記事一覧を見る

三河武士団と作手の里

 
新城市と作手村



 北風が鳴っていた。枝先に残った一枚の葉が寒さに震えているようであった。

 小鳥の声が、渓谷のせせらぎの音に交じって聞こえてくる。それは、戦国最強の騎馬軍団を生んだ武田信玄を狙撃する元を作ったあやかしの音かもしれない。

 そこは東西を小さな渓谷にはさまれた豊川右岸台地の野田城址であった。天正元年(1573)、京を目指して西上する信玄は、山家三方衆の菅沼定盈のこもる野田城を囲んだ。小さいながらも要害のこの城を攻めあぐんだ信玄は、甲州の金山人夫を使って本丸と二の丸の間を掘り崩し、さらに穴を拡げて城内の井戸水を枯らしてしまった。

 夜ごとに、妙なる笛の音が城内から聞こえるようになったのはその頃からであった。あまりに美しいその音色に攻める武田の兵も聞き惚れたが、ことに心をとらえられたのは信玄だった。初めは用心していたが、その音を聞こうと,ある夜、本陣を出て堀端に近づいた。その姿をすばやくとらえて狙撃し、信玄の死因を作ったのが城兵の鳥居三左衛門(強右衛門)だった。信玄が笛好きであることを知った城側では、笛の音でおびき出す奇策を立て、みごとにそれが成功したのである。

 野田城址のすぐ東にそびえる作手の山への道は、人家がまったくないやまの傾斜を九十九折、その先の天の高みに突然、森にふちどられて開ける平野が作手である。

 峰の要所、要所に二十を越える物見狼煙台をもっていた。狼煙とは狼の糞を焼いた煙のことで、どんな強い風にも乱れることなくまっすぐにたちのぼると信じられていた。

 強右衛門葉この地に生まれ、村一番の力持ちだったことから長篠城主奥平貞昌の足軽となった。

 長篠城が武田軍に囲まれた折、岡崎の家康に「援軍が来る」と知らせ、激怒した勝頼により、磔刑となった。

「長篠城址史跡保存館」への案内板にも描かれている。

 甘泉寺の境内には鳥居強右衛門の墓がある。

 

22.中世の那古野台地の幻の森と谷を彷徨う

24.舞い散る枯れ葉と神々の衣ずれの音里

次のページへ
ページの上部へ

プライバシーポリシー

利用規約

企業案内

よくある質問

記事を読む

私的画報とは

Copyright (C)PROSIT ASSOCIATES Co,LTD All Right Reserved