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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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人の神の原点が息ずく伊那谷の晩秋

 
長野県下伊那郡


 溶けた霜の蒸気が立ちのぼる田の畦道を歩いていると、石置き屋根の幻想が浮かんでくる。透明な高原の水をはねて回る水車小屋の夕陽の中で、刈り入れを終えたばかりの野良着の人達が踊っている幻も見えてくる。

 赤石山脈と伊那山脈にはさまれたV字渓谷遠山郷は、鎌倉から戦国にかけての伊那谷の大名遠山土佐守三代の栄華の跡である。

 伊那谷でも最も奥深い遠山六か村と大河原・鹿塩・福与・部余・赤穂3500石を領し、二代目景道のとき、家康について大坂の陣で機略によって多くの功をあげた。江戸の名奉行として鳴らした「金さん」もこの一族であった。

 遠山氏の栄華の跡をとどめるのは、急な山の斜面に千古の杉を生いさせる菩提寺の龍渕寺である。聖観音菩薩を本尊とする緑深い境内の奥の原生林の中には、歴代遠山一族の墓が苔むして並んでいる。

 城址であったその横には、遠山一族全盛のころの和田城が復元され、南信濃の山深い集落を見おろしている。「遠山霜月まつり」は、遠山一族の霊を祀るものである。

 土間の大釜で谷の神水をわかし、雫を全身に浴びて精進潔斎するもので、奥三河の花祭りとも共通する雰囲気を持っている。

 昔、天竜川水系に入ってきた祭りが、土地によって少しずつ形を変えながら残り続けてきているものであろう。

  遠山を「星も人の心も美しい里」としてこよなく愛してきたのが、児童文学者の椋鳩十であった。

 動物文学を志すようになってからは、猟期になると、シカやイノシシ、タヌキやキツネの仲介をする地元の「星野屋」を基地にしてたびたび狩人のいる山に分け入っていった。そして、共に動物を追って歩いたり、猟師と星野屋の主人との交渉を観察し、次々に名作を生んでいった。

 大陽の光が萎えるとき、人間の魂も最も衰える。そんな季節の伊那谷の晩秋は、神から新しい魂が与えられるときである。



 

32.あやかしの仙境だった

34.海亀と難破船の海洋民族のふるさと

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