私的画報 私的画報 表紙へ 記事一覧へ戻る お問い合わせ 執筆者募集
アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

過去の記事一覧を見る

霧わき、不気味さ迫る霧ケ城

 
岐阜県恵那市


日本三大山城と呼ばれる岩村城は、標高721mの高山を要塞に、矢石を飛ばしても城に届かず、騎馬隊も役に立たなかった。城方が危うくなると「霧ケ井」からすぐ霧が湧き出して城をつつみ、霧ケ城と呼ぶようになった。

岩村城主遠山修理亮景の死後秋山晴近と結婚した夫人は信長とおばおいの関係であった。夫人も武士の妻、夫と城兵に身のあかしをたてるため、ひとりで攻撃隊に切って入り、十七人を倒して果てた。城はその後にわかに守勢となり、夫人が最期のときに着ていた白衣を思わせる雪の降る中で落城した。女城主といわれる所以である。

道の横に続く苔むした石垣、シダの茂みが深くなる。巨大な石垣には夏草がからみつく。台石だけの「一の門」。少し過ぎると、右に左に、道はつづら折りになって、「畳橋」跡、「大手門」跡、「三重ヤグラ」跡。思い思いの方向に向いた石垣が、息もつかせず続いている。

そしてその上や間は、深いスギ林やシダの波。荒れてはいるが、城の石垣には、どこか爽やかな美しさと悲しみがあるものだが原生林の切れ目や継ぎ目に、これだけ重なると、不気味さだけが迫ってくる。

「二の丸」「本丸」と、石垣はますます高く、けわしく、奈落のように落ち込む谷に継ぎたされてそびえていくのであるが、伸びるにまかせたままの原生林に、悲惨なそぎ跡を残して、夏草が露出している姿を見ていると、動物のようになってここをよじ上り、くんずほぐれつ、谷底に落ちていった雑兵たちの凄まじい雄叫びや矢玉の音が、そのまま聞こえてくるような気がした。

「天守閣」跡に立って見ると、北に信濃からアルプスにつらなる三国山、そして南方に奥三河から伊那に続く高い山々が、空を狭めてそびえ、見下ろせば奈落のような谷と、けものも踏み迷うほどの深い木々につつまれた尾根が、どこまでも伸びている。



 

37.豊年を祝って舞う「花祭り」

39.昼なお暗い柳生街道

次のページへ
ページの上部へ

プライバシーポリシー

利用規約

企業案内

よくある質問

記事を読む

私的画報とは

Copyright (C)PROSIT ASSOCIATES Co,LTD All Right Reserved