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アート

東海歴史散策

歴史的な場所がだんだん開発の波にのまれうしなわれていく今日。
草むらに、ビルの谷間に、忘れられたようにひっそりと存在感をなくしている。
東海地方は史跡の宝庫。記憶に残っているものを少しでも多く紹介することが
大切という思いからメールマガジンで紹介し続けている。
川田きし江 プロフィールを見る

過去の記事一覧

1.哀話の坂道、からたちの砦の坂道

2.陶器と美濃源氏と化石植物の里

3.海賊大将軍のふるさと

4.戦国軍師が眠る美濃一の宮

5.大神に仕えるイツキノミヤ

6.神代の生活を守る幻の大和民族「山窩」

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西方浄土に続く熊野灘

 
愛知県


潮がひいていく。限りなく澄わたり,大きく湾曲している水平線の宙に向かって、豊かに満ちあふれながら潮がひいていく。

その昔、人々は、このはるかな沖に、西方浄土があると信じていた。

初冬の浜に立って見る現在の熊野灘も、そんな時代と少しも変わらぬ神秘性にあふれて輝きわたっていた。海と山の国熊野ーーー。

新宮から東へ、なだらかに続いている海岸線が、熊野市にきて、不意に海中に大きく突き出す。熊野の奇勝として知られる鬼ケ城の大岸壁ーーー。黒潮の海の中に、1.2kmにわたって直立するその姿は、岩だけで形づくられた岬。岩の国といってもよいだろう。何十年もの間の海蝕・風食によって、奇怪な無数の洞窟ができ、それをつなぐ岩の姿は千変万化。

鬼ケ城の名の起源は、室町時代の大永2年(1521)、有馬和泉守が、このいわやの山上に隠居城を構えてからである。

熊野といえば、海の民の国、海賊の国としても知られている。

海賊といえば、鬼ケ城伝説にも象徴されているように、海上を横行する盗人というのが一般のイメージであるが、海で生活する民のこと、そして発展して、村上・九鬼水軍で代表される海の猛者となった。

それに対し山賊はやがて盗賊となり、地方の豪族となって,武士となっていった。ところが海賊は、水軍となって海上を統治するようになったが、いぜんとして名が変わらず、海賊方とか海賊奉行という名のままだった。

平安朝の昔から、歴代天皇はもちろん、王朝貴族から全国の庶民にいたるまで「アリの熊野詣で」といわれるほど信仰を集めてきた。熊野三山(熊野本宮大社・新宮速玉神社・那智大社)で知られる熊野は、気候温暖、風光美しく、海の幸、山の幸にも恵まれた「うまし国」。それは海風を避けた山峡のいたるところに温泉が湧き出している。

熊野川の流れは、しだいに落ち込む幾多の山すそを洗いながら、しだいに清冽さを増し、霞の流れと共に瀬音が高まり始めると、闇は一度に四方からやってくる。



 

41.奥能登に伝わる平家の血

43.雪国のきびしい湖に羽を休める白鳥たち

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