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愛用のバレン。
バレン一つとっても様々な種類がある |
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1966年の年賀状。もう40年以上も前の作品 |
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版画を始めたのは、小学校2〜3年生の頃。きっかけは、小学校の頃に通っていた絵画教室ですね。
私の出身は豊川で、幼い頃は浜名湖三ケ日に住んでいたのですが、地元に日展にも何度か入賞されているような有名な画家の先生がいらっしゃったのです。私は、その方が個人で開いていた小さな絵画教室に通っていました。その先生の専攻が版画と日本画だったので、それで版画をやり始めました。これが、版画を始めたきっかけといえばきっかけですね。
小学校2〜3年からずっとですから、キャリアとしては実に50年以上も版画を作り続けている訳です。
高校でも美術部に入部し、版画を作っていました。版画を作り始めた頃はゴム版だったのですが、中学・高校くらいから木版画を主に作るようになりました。美術部の先生が、東京芸大の油絵出身の先生でして。先輩にも、現在名高い画家になっていらっしゃるような方がいて、美術活動を行う環境に恵まれていました。

版画というと、多色刷りの浮世絵を連想される方が多いかと思いますが、歌麿とか北斎とか、そういう有名な浮世絵が作られていた時代は、版画は分業で作成されていたのです。
まず、「版元」という元締めがコーディネーターの役割をして、どのような絵を作るか、どの舞台役者をモデルに使うかなどのプランを立てます。プランが立て終わったら、版元は「絵師」にそのプランをオーダーし、絵を書き下ろしてもらいます。絵が完成したら、次は「彫師」。彫る専門の人がいるんです。彫師が彫り上げた版は、最後に、「刷師」のもとに届けられます。刷り専門の刷り師のプロの技術によってきれいに刷られ、それが商品として売られていた、というわけです。
いわば映画のようなものでしょうか。すべてを統括する監督がいて、その下にストーリーを作る脚本家や表現する役者、撮影するカメラマンがいる。それぞれの役割があり、それらが重なりあって映画というひとつの作品ができるわけです。
そう考えると、私は自分ひとりで「版元」「絵師」「彫師」「刷師」のすべての工程を楽しんでいる訳です。それはとても刺激的で面白いですし、贅沢な楽しみ方だと思います。 |